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一方明倫学舎は、旧大野藩主・土井利章子爵の創設によるものであり、輔仁会と同様の目的をもって運営された。当時土井家には、渡邊満太郎陸軍中将、古川テ三郎海軍中将、加賀山学鉄道省局長(注釈5) 、猪野毛利栄代議士、金森医学博士、ほか6、7名の顧問がおり、顧問からの進言を受け、昭和3年(1928年)3月以来、東京府下吉祥寺(当時)に旧大野郡出身の学生を収容するために木造二階建ての寄宿舎を建設し、多数学生の奨学育英に力を尽くした。
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*昭和3年設立当時の明倫学舎舎生署名簿。表紙の左側には寮の規則が記されてある。 | |||||
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*昭和30年代の明倫学舎舎屋の写真(昭和34年度生・上田幸照氏ご提供) | |||||
注釈5.先の『岡田啓介回顧録』には、二・二六事件(昭和11年)の際に、岡田氏の親戚である加賀山学氏が、福田耕氏らとともに、首相官邸から岡田氏を逃すべく活躍された模様が描かれている。なお、加賀山学氏の実弟である加賀山之雄国鉄第二代総裁も、後に輔仁会明倫学舎の役員を務められた。 |
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