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昭和30年代に入って、学舎も相当に老朽化し、また福井県からの上京の学生数も激増したことにより、現状では到底その入舎要求には応えられなくなったため、昭和34年11月開催の理事会・評議委員会において対策を協議し、学舎増築計画の骨子が承認された。その後の計画の推移は下記の通りである。 | ||||||||||||||||||||||||
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![]() *昭和38年、新学舎完成時の写真。写真をクリックすると写真と説明が表示されます。 |
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以上のような経過を辿り、昭和40年4月17日に新学舎竣工式が挙行された。石田和外氏(当時最高裁判事。昭和44年1月には最高裁第5代長官就任)が、早川理事長ならびに品川主計評議員会長(元読売巨人軍球団社長)の懇請により、あらたに輔仁会理事長に就任された 。また、藤村脩氏(輔仁会理事)が、奨学育英基金として3,000万円を寄付された(藤村氏は後にさらに500万円を寄付された)。ここに、名実ともに装いを新たにして財団法人輔仁会・明倫学舎は再発足し、爾来多数の郷土出身学生の奨学育英に貢献して現在に至っている 。(注釈7)。
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注釈6.石田氏が理事長に就任されたときの経緯については、当時の輔仁会理事のひとりである坂井一位氏が『石田和外追想集』に寄せた手記に書かれている。
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